浅田真央選手は誰のものか と、問われれば
浅田真央選手は誰のものか
http://www.huffingtonpost.jp/dai-tamesue-x-aera-hakunetsu-web/asada-mao_b_5109014.html
ここで、面白い問いかけだと思ったのは「選手」と名前の後ろに付けたということ。
浅田真央は誰のものかととえば、迷うことなく、浅田真央は浅田真央のものであると言い切ってしまえるだろうけれど、ここで、選手と付いたことで、選手としての浅田真央はどうなんだろう、誰のものなのだろうと考える人がいるかもしれない。
そんなふうに思った。
選手と言うのは、その人の役割であって、その役割はその人自身に付随するものだ。
そして有名先週になってくると、その役割が選手と観客の間に肥大化充満して行く、だからこそ、誰のものか、などという愚問が発せられるのだと思う。
つまりは、浅田真央も浅田真央選手もひっくるめて、浅田真央のものであり、それ以外は無いということだと思う。
格差拡大政策
安倍政権の格差拡大政策は、戦争参加の自衛隊に貧困層を入隊させるため?日弁連元会長激白
こういう記事表記にすると、なにやら、胡乱な陰謀論の記事かなとかいうものだけれど、真っ当なことが書いてあると思う。
蟻地獄に堕ちていく蟻のようなものかもしれない。
こんな状況をどうすれば、多くの人が住みよくできるか。個から、それを考えていくしかない。
桔梗の芽が出た
桔梗の芽が出た、多分、2年もの。
今日から消費税8%。
今日から消費税8%。
それはともかく、少し民意について考えてみたくある。
「あと5億円必要」とメール 渡辺氏、DHC会長に
よく、政治家は民意を叫び、民意の大切さを語ろうとするけれど、さて、民意というと、それは、この文章を書いている私の意見であるのか。小泉政権の頃からの、自由化、官から民へというお題目も、この民はこの文章を書いている私のことを指しているのか。
すくなくとも、私と同じような生活や人生や考え方をしている人達を指しているのか。
8億とか10億とか出せる人と、もしくは企業と、私のような貧乏ったれが、同じ考え、同じ価値観を持っているかというと、はるかに疑問であり、政治 家の言う民意とは、こういう御歴々のご意見とするならば、日頃の政治家に対する疑問、その発言の真意について理解し得ないと思うのは、それほど不思議なこ とではなかったのだなと、今回の事件で改めて思った。
真摯に青年の声を聞けとか、思ったりする
テレビでどのチャンネルを見ても、この報道がほぼ無いということに驚きます。
さて、雇用の創出ということを、推進派は言うようですが、雇用の創出といっても、生活していくのが困難な給料しかない雇用が創出されても仕方がないと思うわけです。
翻って日本の現状を、特に若者の状況を鑑みれば、台湾の若者も、今が踏ん張り時かもしない、などと思います。
なんというか、政治家・高級官僚の世襲化禁止と、定年制、40歳辺りを定年にするほうが、まだ、状況がましになるのでは、なんて思ったりもします。
警察がデモ隊を排除したとありますが、彼ら警察の中にも、若者がいたでしょうし、どういう思考の展開をしているのかに関心があります。
何処かで、うまく納得させているのでしょうね。
竹富町と教科書のこと
文科相是正要求 道理ゆがめる「恫喝」だ 不当な政治介入を撤回せよ
教科書問題、文科相が竹富町に是正要求 初の措置「当然」 沖縄県教委も厳しく批判
少なくとも、私は政治の場において、いろんな考え方の人間がいろんな方向を向いて議論をし、一つ決めるのに随分と時間がかかってしまうという仕組みが、不満をお持ちの方はたくさんあろうかと思いますけど、一番良い政治の場であると考えています、それは太平洋戦争に突入していった日本という国を考えたとき、そういう帰結になるのはそれほど不思議な結論ではないなんて、思ったりもしますけれど、本名で詳しく展開していくのは、少々、勇気が必要で、さて、どうするかなと考えます。
と、言っても、このブログ、はてなのアクセス解析に拠ると、一日のページビューが1件とか2件なので、それほど、気にする必要もないかなとは思いますが。
追記 2014.03.26
琉球新聞社説 是正要求拒否 竹富町の判断こそ正当だ
Eテレセレクション ひとりと一匹たち・多摩川河川敷の物語を見る
Eテレセレクション ひとりと一匹たち・多摩川河川敷の物語
夜中、1時半まで起きていたので眠い。
テレビを見ていた。
Eテレセレクション ひとりと一匹たち・多摩川河川敷の物語を見る。
捨てられた猫を通して、ホームレスを、ホームレスを生み出す社会が描かれていた。
住みやすい社会、生きていきやすい社会とは何なんだろうと思う、そして出来るだけ福祉に頼りたくないと言う彼の言葉を改めて思う。
彼にとって福祉に頼らないというのは、彼自身が弱い立場で生きている中で、自分で生きているんだと、自分自身に言うことが出来るぎりぎりの線なのかもしれないと思ったりする。
現時点ではホームレスになっていない、私やあなた方は、それを他人事と切り捨てることを選ぶか、沈黙は、それを選んだことと同じだとか、そんなことを思いながら寝た。
続きは後で書く
政治における「中立」を展開してみること