タイトル: 春になったら
内容:
春になったら莓を摘みに 梨木香歩著 新潮社刊
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031645558&Action_id=121&Sza_id=B0
(アマゾン嫌いなので、e-honのアドレスを入れる。)
最初に読んだ梨木香歩の作品は何だったのか、明確には覚えておりませんが、この「春になったら莓を摘みに」は書店に並ぶのを待つように買った記憶があります。
先日の、「みんなで楽しもう! セロ弾きのゴーシュ」 京都リップル を観た帰りに、ふと電車の中で、この本のことを思い出しました。
「春になったら莓を摘みに」の下宿女主人ウェスト夫人の姿勢、理解できなくても受け入れるという、考え方。
私たちの多くは、何事におきましても、理解できるか出来ないか、もしくは理解したいかしたくないかで、相手を拒絶してしまう、言い換えれば、あなたは私も理解に導いてくれないから、あなたを受け入れることが私には出来ないのであり、理解してもらおうとするその姿勢の足りないあなたに非があるのだ、と、そういう論理めいたモノで他を拒絶することが多い。
もちろん、それは危険回避であり.自己保身のため、必要なことでもあるのかもしれませんが、なんて、それは息苦しい、孤立した世界であるのかとも思います。
知らないことを知ろうという好奇心と冒険心は決してなくしてはならないものと、京都リップルの舞台を見ながら、改めて思い出していたのでした。
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