普段着の文章 物部自動車工業 店主の日記

京都市西京区で車検整備の認証工場の店主です.趣味や思いつきを書いています.

特に読んでいただきたい記事
  1. 命は大切ですかと問えば

シナリオ 黒い傘 とか

紆余曲折がありまして、昨年はこのお話を元にした朗読劇を上演していただいたりとありましたが、それ以降、なんとか、自身がわりと納得できる形で、オーディオドラマとしてきっちり仕上げておきたいとか思うこともありまして。
「わりと」と「きっちり」、どっちなんだというものですが、少しばかり、逃げの要素も残しておきたい小心者ですから。

最後まで書いたので載せておきます。
400字詰め原稿用紙44枚。
権利は私にございますが、ご自由に演じていただければと思います。特に私へのご連絡は必要ございません。また、演じることで、例えばCDやダウンロード販売などで利益を得られるのもご自由にどうぞ。私への利益の分配は必要ございませんし、特にご連絡も必要ございません。


黒い傘

(囁くように、でも、はっきりと)
女 「こんにちは」
女 「はじめまして」
(静かな音楽)
女 いつからだったろう、黒い傘の、あの女の子を見かけるようになったのは。冷たい雨の降る夕暮れ時だったろうか、それとも雪の降りしきる吹雪の朝、そうだ、思い出した。夜に降り続いていた雪がやんだ朝、久しぶりの青い空、地上は雪に覆われた真っ白な世界、新聞を取ろうと玄関を出た時、その真っ白な世界の中に黒い傘を差したあの女の子がいたんだ。黒い傘のあの子だけが白を拒絶し、道の向こう側に立っていた。誰もいない二人っきりだった、急いで道の向こう側へ渡らなきゃと思ったのに、手を伸ばしてしっかり抱きしめてあげなきゃと思ったのに、私は怯えて立ちすくんでしまった。どうして私は怯えたんだ、どうして。
どうしてだかわからないのに、私、怖くなってドアを閉ざしてしまった。
それから何度も、傘をさしたあの女の子を見かけた。陽だまりの、公園のフェンスの向こう、夕日に伸びる私の影の下。
小さな黒い染みが、私の心の中で見る間に広がって、いつのまにか、黒い傘をさす小さなあの女の子が、心の中を、大きく占める存在になっていったんだ。
名前も知らない、話をしたこともない、ううん、顔すら、黒い傘が邪魔をして見たことがないんだ。それでも、なんだか、そわそわと気掛かりでしょうがない。思い切って声をかけてみようかと思う、思ったことはあるのだ、でも、なんだか怖いんだ。円満とは程遠いけれど、夫との安定した生活。近所の人達との、天気がいいだとか、悪いだとかのつまらないお喋りをする日常。それが、黒い傘に隠れた小さな女の子に話しかけた途端、一瞬にして消え去ってしまいそうな気がして怖いんだ。
どうして、そんなふうに思ってしまうのだろう、わからないくせに、いつも、こうしてためらってしまう。怯えてしまうんだ。

(少し元気に、呼びかけるように)
女 「こんにちは」
女 「はじめまして」
女 「私、この近くに住んでいるんだ」
女 「君もかな」
女 「大きな傘だね、お父さんの傘かな。」

女 簡単なことだ、返事がなければそのまま、通り過ぎればいいだけのことだ。でも、返事があれば。返事があればどうしたらいいんだろう。私、怖くて逃げ出したりしないだろうか。

(鍵を開けて、ドアを開ける音)

女 「あぁ、お父さん、居たんだ。ただいま」
女 夫は三日間の出張、一人でいてもしょうがないと、久しぶりに実家に帰ってきた。
女 「母さんは」
父 「一泊二日の温泉旅行、お仲間とな」
女 「なるほど、その言い方。定年退職、ごろごろしている亭主として立派に疎んじられているわけだ。たまには姉さんや兄さん、帰ってくるの」
(女、椅子を引いてテーブルにつく、女、落ち着いた口振りで)
父 「お前くらいだな、思い出したように帰ってくるのは」
女 「まぁ、しょうがないよ、姉さんも兄さんも子育て大変だからさ」
父 「おまえはどうなんだ」
女 「ん、私」
父 「子供は」
女 「いきなりだなぁ。そういうのはいらない」
父 「亭主殿は欲しがっているんだろう」
女 「それが大問題だ、最初はさ、子供はいらないよ、君さえ居てくれればねって甘い声で話してくれてたんだけどなぁ」
女 父さんの読んでいた新聞がテーブルの上にある。大見出し、生後すぐの赤ん坊がゴミ袋の中で発見された事件だ
父 「亭主殿はお前が本気で子供がいらないとは思ってなかったんだろう。男は無条件に女は子供好きと思い込んでいるからな」
女 「今にして思えばね」
父 「新聞に載るよりかはましというものだな」
女 「どういう眼でうちの父さんは娘を見ているのやら」
(女、わざとらしく溜息をつく)
父 「件の母親未満にとっては赤ん坊が生まれることが迷惑だったんだろうな」
女 「だからって、自分の子供を殺して良いわけはないよ。命はかけがいのない大切なものなんだから」
父 「なるほど、命は大切なものなのか。俺や母さんの命もお前にとって大切なものなのか」
女 「もちろんだよ」
父 「なら。例えば、日本の裏側、ブラジル辺りの、一度も会ったことのない、これからも会うことがないだろう男の命も大切なのか」
女 「え」
父 「銀行強盗、間が悪くお前が人質になった、その銀行強盗の命も大切なのか、お前は」
女 「そんなのわからないよ」
(父、少し笑う)
父 「いつだったか、新聞に日本人は命の大切さを初めから知らないと書いてあったことがある。命の大切さは普遍的なものだ。つまり、どんな命も大切だと言い切れないうちは、そんな言葉は偽物だということだよ」
女 「凹むなぁ。父さんは意地悪だ」
(父、愉快に)
父 「謝るよ。大切な娘が凹み過ぎて自殺でもしたらかなわんからな」
(冷蔵庫を開ける音)
女 「百年先、私が父さんの死に水をとってあげるさ。さて、冷蔵庫は、なんもないなぁ。父さん、朝から何か食べたの」
父 「動かないからな、腹も減らない」
女 「そんなこと言ってると、動かない、じゃなくて、動けないになってしまうよ」
(冷蔵庫を閉める音)
女 「ご飯、食べに行こう。母さん、どうせ、旅先で美味しいもの食べているんでしょう」
父 「そうだな、出かけるか。外で食べるのは久しぶりだ」
女 「父さん、何食べたい」
父 「お前は何が食いたいんだ」
女 「優しくて美しい、とっても親孝行な娘が自腹で父さんに美味しいものを食べてもらおうっていうんだからさ、自分の好きなのを言ってよ」
父 「不思議なものだな」
女 「ん、何が」
父 「お姉さんと呼ばれるのか、それともおばさんと呼ばれるのか、その端境の娘なのに、親から見れば、まだまだ、小学生にもならない子供のように思えて仕方がない」
女 「困ったもんだよね、親ってのは」
父 「そうだな、困ったものだ。齢を取ると目が悪くなって二重写しになるんだ、今のお前と子供の頃のお前とがな」
女 父さん、懐かしそうに少し笑みを浮かべる、いま、子供の私、どんな表情をしているのだろう、笑顔、浮かべているのかな
父 「そうだな、中華でもするかな」
女 「中華いいね、思いっきり食べよう」
父 「確か、商店街にあったろう」
女 「そうだ、あったよね、豚の角煮が美味しいお店」
女 「ね、父さん」
父 「なんだ」
女 「子供の頃のあたしって、可愛かった」
父 「ああ、自分の娘だからな」
女 「あたしのこと、大切だった」
父 「大切に思っている、今も昔もな」
(女、照れたように)
女 「ありがとう、大切に思ってくれる人がいる、へへ、それが嬉しい」

(商店街の賑わい)
女 一歩先を歩く父さんの背中。あたしが初めて父さんに会ったのは、小学一年生だった、新しいお父さんよ、って気楽な様子で母さんがあたし達三人を前にし紹介したんだ。父さんの一瞬、戸惑った顔を忘れない、母さん、自分は独身で子供も当然いないって言っていたらしい、まさしく、結婚詐欺だ、でも、すぐによろしくって、父さん、あたしたちに笑いかけてくれた

(商店街の中華料理店、扉を開ける音)
店員 「いらっしゃいませ」
女 空いたテーブルにつく。几帳面に背を伸ばして座る父さん、いつもの癖だ
女 「小皿もらって、一品ずつもらおう。その方が、いろんなの、食べられるよ」
父 「それもそうだな、お前は若いんだからたくさん食べろ」
女 「父さんこそ、しっかり食べて体力をつけてくれないとさ、父さんが寝たきりになったら私が介護しなきゃならないみたいだし、元気にしててくれないと大変だ」
父 「大丈夫だ、お前にはお前の人生がある、お前の世話にはならんよ」
女 「力強いお言葉、ありがとう」

女 餃子にチンジャオロース、もちろん、角煮。いくつかをまとめて注文する。冷えた水を少し口に
含む、なんだか良い感じだ。ん、写真入りのお品書きを見ている父さんの顔
父 「どうした」
女 「親子しているなぁって、自分の親孝行ぶりに感動していた」
父 「気を使いすぎるな、元気でいてくれればそれだけでいいんだ。ところで、お前、うまくいってい
るのか」
女 「えっ」
父 「亭主殿とうまくいっているのかってことだ。結婚した娘が不意に戻って来て親孝行をしだす。
鈍感な男親でも、家で何かあったのか、くらいは思うものだ」
(「いいの」は問いかけるように)
女 「あるけど、言うと、あたし、泣き出すかもしれない、いいの」
父 「ああ、泣きながら餃子を食え。思いっきり食って、思いっきり泣けば、すっきりして良い道筋も見えてくるものだ」
女 「それが泣けないんだ、自制心が強すぎて」
父 「娘は父親と似た男と結婚する傾向があると何かで読んだが、お前は、お前自身が俺に似てしまったようだな」
女 「父さんも自制心が強いの」
父 「あぁ、こんな娘と向かい合って飯を食おうというんだからな」
女、小さく笑いながら。
女 「ひどいなぁ、父さんってば。でも、なんだかそういうのも嬉しいんだ、今はね」

女 角煮が最初に来た、小皿にとりわけお箸を添えて渡す。なんでもない、こんなことが嬉しい、ずっと一人で食べていたから

(女、電話口にて、夫と話す)
女 「晩御飯、食べないの。そう、帰りが遅くなるの。え、ううん、そうじゃないけど、たまには一緒に晩ごはん食べたいかな、とか・・・、ううん、ごめん」
(電話を切る)
(力が抜けていくように)
女 なにを謝ってんだろう、私は。謝る理由なんてないはずなのに。心が、私の心、崩れてしまいそうだよ

一瞬、すべての音が消える。
女 私は白を拒絶する、あの黒い傘の女の子から逃げ出した。本当は・・・、本当は。道の向こう側、立っていたあの子。 私も道の向こう側へ行かなきゃと思った、しっかりと抱きしめてあげなきゃって思った、それなのに。私はおびえて立ちすくんだ。どうしておびえたんだ。そんなに今の生活にすがりたいのか。
父 「どうした、ぼぉっとして」
女 「ううん、なんでもない」
女 父さん仕方無さそうに笑った。
父 「まるで迷子だな。流され続けて、自分の道を見失い、立ち尽くしているようだ」
女 「なら、どうすればいいの、私」
父 「お前の真っすぐを行けばいい、それだけのことだ」
女 「真っすぐ走ったらすぐにぶつかってしまうよ」
女 父さん、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
父 「人の体は七十パーセントが水ということだ。水というものは、動かなければ腐ってしまう。人も
な、動いて行く、変わっていく、そうしないと腐ってしまうぞ」
女 「私が腐りだしているっていいたいの」
父 「少なくとも気持ちはくさっているだろう」
女 「まっ、そうだけど」
父 「ぶつかっても、足を止めるな。走り続けていればそのうち何処かに行き着くし、案外、そこが
自分の行くべきところだったりするもんだ」
女 そういうと、父さん、豚の角煮を頬ばる。
父 「お前も食え、悩んだ時は食う。そうすれば頭へ回る血が胃腸へ流れて、悩まずに済むというものだ」

父 「俺は子供の頃から金科玉条、大切にしてきた言葉がある」
女 「理性に対して常に正直であれ。耳にたこができるほど聴かされた」
父 「それを忘れるな。心の真ん中に立てておけ」
女 「父さんはほんと、頑固な人間だな。母さんも苦労が絶えないだろうね」
父 「俺の石頭は」
女 「面倒なことに、末っ子の私が引き継いでしまった。子供の頃から姉さん羨ましく思っていたん
だ。私もあんなふうに自由に振舞うことができたらなぁって」
父 「あきらめろ、人の性分はかわらん」
女、少し笑う。
女 「自分の性格、納得しているよ、少しだけ気に入っている」
女 お茶をいただく。どうしてだろう、いろいろ悩むこともあったはずなのに、私、父さんと話してすっ
かり和んでいる。こんなに気持ちが落ち着いたの何年振りだろう。
父 「少し顔がやわらかくなったな」
女 「わ、私だって、色々あるんだよ、色々さ」
父 「そうだな。生きていれば色々ある」
女 父さん、仕方なそうにほんの少し笑みを浮かべる。こんな表情も、父さんするんだ。
女 「別にさ、子供が嫌いってわけじゃないんだ。ただ、今の私には無理だよ。なんていうかな、子供が居ることでたくさんの何かを得ることができるだろうと思う。でも、きっと、失うもの、失わなきゃならないものがある、いまはそれがいとおしい。たまにね、姉貴の子供、世話するのはいいんだ。でも、それが自分の子供でずうっと世話しなきゃって思うと不安になるんだ。足元がふらふらして倒れそうになるんだ」
父 「おまえは生真面目すぎるからな、その上、臆病だ。生真面目だけなら、まだ良かったんだがな」
(女、深く、溜息をつく)
女 「厳しいなぁ、父さんは。私、どうしたらいいんだろう」
(父、少し笑って)
父 「年老いた親にすがるんじゃない。まっすぐ行けばいい、勇気を持ってな。それだけだ」
女 「ね、父さんは悩みとか、ないの」
父 「ある」
女 「私のこと」
父 「ん」
(父親の声音を真似るように)
女 「上の二人はうまくいっているのに、末っ子はどうしようもないな。甘やかしすぎたか」
父 「まぁ、甘やかしすぎたのは違いないな。上の二人とは、年も離れていたからな。しかし、お前達がどう生きていくかは、お前達自身が悩むこと、俺が悩んでもしょうがないだろう」
女 「それじゃ、母さんのこと」
父 「朝から晩まで居なかった人間が、急に、一日中、目の前でぼぉっとしているわけだ。うっとおしくもなるだろうな」
女 「夫婦仲、うまくいってないの」
父 「いや、悪くはないだろう、良くもないがな。お互い、空気と喧嘩してもしょうがない、そう思っているだろうな」
女 「少なくとも父さんは母さんを空気と思っているわけだ」
父 「透けて見えるわけではないがな。まぁ、それでも悩みというほどのものではない。うまく言えないが・・・」
女 父さん、少し顔を傾げる、父さんは何かをしっかり見ようとすると、顔を傾げる、左右の視力がかなり違う所為だ。父さん、何を見ようとしているのだろう。
父 「年をとって、暇になると妙に子供の頃が甦ってくる、無性に子供の頃に戻りたくなる」
女 「子供に戻って人生をやりなおしたいとか」
父 「いや、子供の頃に戻りたいというのは正確じゃないな。子供の頃に見た風景、出会った情景、出会った人達に会いたい、そう思えて仕方がない。なんだか、取り残されてしまったような気がするのさ」
女 「父さんの叔父さんはまだ生きていたっけ」
父 「俺が子供の頃に出会った人達、その出会った頃のままに会いたいってことだ。人生の中で、少しずつ組み上げていったはずのジグソパズル、完成したつもりでいたのに、気づけば、虫食いしたように、あちらこちらのピースが落ちて何処かに行ってしまっている。それをなんとか、拾い集めたい、そんなことをな、考えてしまう」
女 「私ほどの親孝行な娘でも、それは無理だ。私も年をとったらそんなふうに考えるのかな」
父 「さぁな、ただ、俺もこの先、それほど長く生きるわけじゃないが、なんとか生きていく。子供の世話にはならんよ。お前は自分を精一杯生きていけばいい、臆病でも、何が大切で、何が必要じゃないか、見極める目はあるはずだ。人生は思うより短いぞ。人は生まれた瞬間から死へと走り始めているのだからな」
(女、思い切ったように)
女 「あのね、訊いても良い」
父 「なんだ」
女 「ねぇ、父さんはどうだったの、いきなり子供が三人も出来てさ」
父 「自分以外は他人だ、親であろうと、女房であろうと、兄弟であろうと、子供であろうとな。だから、無理して家族を装おうとも思わなかった、ただ、一生をかけた実験なのかも知れないとは考えた、俺達は家族だと思う、その思いの繋がりが、血の繋がりを越えることができるかどうかのな」
女 兄貴も姉も私も、父とは親子だけれど血は繋がっていない。母の連れ子だ。だから、父さんには血の繋がる人はもういない。
女 「実験は成功だったの」
父 「わからん」
女 「どうして」
父 「俺も当事者だ、外から観察も分析もできるわけじゃない、間抜けなことだな。ただ」
女 「ただ」
父 「良い娘と息子がいてくれて良かったと思っている。俺も歳食ったな、臆面もなくこんなことを言うとは」
女 私はこの目の前にいる人が自分の父親と素直に思うことができる。まだ、小さかったからだろうか、兄さんや姉さんはいまも 血の繋がる人と付き合いがある、私は絶対にあの人には会わない。多分、大切なのだ、目の前の、無骨で不器用で、真面目なだけが取柄の父さんが
女 「あのね、父さん。・・・あのね」

女 初めて、黒い傘の女の子のこと、・・・話をした。

(道路沿い、雨上がりの車の行き交う音)


女 父さんと二人、歩道に設えられたバス停のベンチに座る。 バスで帰るわけじゃない、ただ、父さん、ふいっと思いついたようにベンチに座ってしまったのだ、そして、車の行き交う夜の道を眺めている。
父 「子供の頃のことを、ひとつ、思い出した」
女 父さんが道を眺めたまま、呟いた。
父 「とても大切なことなのに、大人になると忘れてしまうことがたくさんある、そんなひとつだ」
女 どうしてだろう、一瞬、父さんが小学生くらいの少年に見えた気がした。
父 「理性において正直であれ、その言葉を忘れるなよ」
女 父さん、そういうと、ベンチの背もたれに背中を預け、目を瞑ってしまった。どうしたんだよ、父さん。幹線道路、目の前をヘッドライトを灯した車が何台も行き交う。風が少し冷たい。父さん、帰ろうよ、暗いのは嫌だよ。ふと目の端に黒い影が見えた。傘、黒い傘だ。ぎゅっと父さんの手を握った。
父 「ん、来たか」
女 父さん、体を起こすと、ゆっくり振り向いた。
父 「後ろを見てみろ」
女 ゆっくりと振り返ってみる。黒い傘が目の前にあった。目深に傘を差していて上半身は見えないけれど、黒いスカートとその足元だけが見えた。
父 「選びなさい、この子を受け入れるか、拒絶するか。どちらを選ぼうとお前は俺の娘だ、それにかわりはない」
女 「父さんてば、わけがわからないよ。どうしたらいいの」
父 「この子に寄り添いたいか、拒絶したいか、それを選べばいいだけだ。拒絶すれば、この子は二度とお前の前には現れない。拒絶しなければ・・・、それは俺にもわからん」
女 どうしてだろう、恐怖や不安よりも、初めてこの子がいとおしく思えた。寂しくはないのだろうか、傘の影で泣いてはいないのかと思う。自然とベンチから立ち上がっていた。 黒い傘の女の子が不意に後ずさりし、背を向けると歩き出した。
父 「それもありか。さてと、歩くか」
女 黒い傘の女の子の後を追って歩く。幹線道路の歩道、橋の手前を折れて、土手を歩く。今度は、土手を離れて、細い路地。家灯かりが濡れたアスファルト道路を鈍く照らす、赤ん坊のような猫の泣き声、意味の分からない人の言葉、まるで異国を歩いているようだ。一瞬、光が目に差し込む、繁華街、酔った男と女が大声を上げる。横断歩道を渡り、向こう岸へと行く。確かに人の言葉だけれど、妙にくぐもって何を話しているのか分からない。
女 「お父さん」
女 父さんの手をぎゅっと握った。
父 「父さんに「お」が付くのは久しぶりだな」
女 「何処へ行くんだろう」
女 少し前を黒い傘の女の子が振り返らずに歩き続ける、何処まで
父 「わからんな、ただ、これは方違えだ」
女 「なんなの、それ」
父 「目的の場所へ真っすぐ行かずにあちらこちら方向を変えながら目的地へ向かっているんだ」
女 「どうして」
父 「それが目的地へたどり着く唯一の方法だからだろう」
女 いつの間にか、住宅街に出た。瀟洒な住宅街が続いている、でも、なんだか変だ
父 「変だな、そうか、街灯も窓明かりも、灯り一切がこの街にないんだ」
女 でも、なんだか赤い。夜の中に急に西日が入って来たみたいだ、そっと、後ろを振り返って
父 「後ろを見るな。お前では耐えられんだろう」
女 「お父さん、それって」
父 「珍しいところに来たということだ。角を曲がるぞ」
女 お父さん、ぎゅっと手を握って、少し駆け出す。黒い傘の女の子を追って、角の家の向こうを曲がった。
女 「女の子がいない、見失った。」
父 「ああ、そうだ。捜せということだ」
女 そう言って父さん、ポケットからボールペンを取り出した。
父 「歳を取るとな、物忘れがひどくなる、だから、いつも書くものを持っているというわけだ」
女 父さん、私にボールペンを手渡した。
父 「掌の上にそれを立ててみろ。そして倒れた方向へ向かえばいい」
女 「子供みたいだ」
父 「本当のまじないは得てしてそういうものだ。大人の了見、思案というものが、真実に霞をかけてしまう。ボールペンを摘む指の力加減、受ける掌の角度、それが行く道筋を教えてくれる」
女 本当に行きたいところ、本当に。私、やっぱり、あの子に会ってみたい、ううん、どうしても会わなきゃならない。どうしても・・・。左の掌を星の空に向ける、立てたボールペンは、これは羅針盤だ。私と父さんは、夜の海、二人、漂っている。ボールペンは左に倒れた
父 「左だな」
女 「うん」

女 随分歩いた。どれくらい、ボールペンを手のひらに、辻を曲がったろう。変だ、ほのかに赤い住宅街、朝が来ても良いくらい歩いたはずなのに。
女 「父さん」
父 「どうした」
女 「なんだか、変だよ。」
父 「あぁ、変だな。」
女 父さん、平気なふうに言う
女 「もう朝が来てもいいはずだよ」
女 「どうしてだろう、目が慣れたのかな、少し明るくなった気がする」
父 「上だ、空を見上げてみろ」
女 なんなんだ、空一面が赤く炎に燃えている
女 「空が、空が燃えているよ、空一面が炎に焼かれている」
女 父さんと私を空が紅く照らし出す。並ぶ家々も燃えるように赤く染まり、道路も赤く鈍色に輝いている。立ち止まってみる、雨の降った後か、アスファルト道路の窪みに溜まった水溜まりが紅く燃える空を鮮やかに映しだしている。
父 「つまりはな、向こうから来てくれる内に会っておけば簡単だったということだ」
女 「私、何がなんだかわからないよ」
父 「もう一度訊いておこう、お前はその黒い傘の女の子とやらにどうしても会いたいのか。会わずに済ませられないのか」
女 「会いたい、どうしても会いたい。なんだか、いとおしくて仕方がないんだ」
父 「仮に自分自身が死ぬようなことになっても、それでも会いたいか。会わなきゃならんのか。」
女 穏やかに言う父の声。私、睨むようにして答える
女 「どうしてかわからない、でも、どうしても会わなきゃならない。・・・死ぬのは嫌だけど」
女 父さん。ぎゅっと唇をかみしめて、おもむろに口を開いた。
父 「大きな願いを叶えようというなら、それにふさわしい代償が必要だ。昼と夜の狭間、お前は炎に燃えるあの空へと身を投げなければならん、落ちていかなければならない」
女 「空へ墜ちるって」
父 「道路の少し凹んだ水溜まりだ、水溜りが空を映しているだろう」
女 赤い水溜り覗き込む、確かに茜色の空だ、空そのものが紅蓮に燃えている。
女 お父さん、いくつかの茜色の水たまりを覗き込んで、一番大きい水たまりの前で足をとめた。
父 「これなら人が通ることができるな」
女 「お父さん」
父 「ん」
女 「黒い傘の女の子は」
父 「ここから空へと落ちて行ったんだろう。もうすぐ炎が燃え尽きてしまう。追うなら今のうちだ、闇に戻ってしまうと、黒い傘に阻まれて、あの子を見失ってしまうだろう」
女 「ここを通り過ぎればいいの」
父 「そうだ、だが、俺はここまでだ、お前が一人で行きなさい。行くか」
女 「行きます。なんか、変だね。あんなに怖がっていたのに、今は、気になって仕方がない、あの子のためならなんだってできる気がするんだ」
父 「まるで母親だな」
女 父さん、少し笑うと、水たまりの縁に腰を下ろし、あぐらをかいた。
父 「俺は星の一つになってここから見守っててやろう。どうしてもの時は俺のこれからのすべてを代償に、お前を引っ張り上げてやる。さぁ、行きなさい」
女 「お父さん、ありがとう。行きます」
女 茜色の水たまりへ飛び込んだ、地面が消えた。熱い、私の体が炎を噴き出して燃える・・・、燃える空と一つになる


(お昼過ぎ、時計の音。自宅)
女 あれ、目が覚めた、昼下がり、私、洗濯物を終えて、テーブルに座ったまま居眠りしていたんだ。居間のテーブル、食べかけのお煎餅の袋。テレビもついたままだ、そうだ、久しぶりの休日、思いっきり洗濯するぞって・・・ 違う、これは違う、本当じゃない
(ドアを開け放つ音、駆けだす)
女 ドアを開け、外に飛び出した
女1 「あら、どうしたの。そんな、慌てて」
女 隣の叔母さんだ
女1 「何処へいらっしゃるの」
女 「子供を、黒い傘を差した女の子を見ませんでしたか」
女1 「そんな子は捜さなくてもいいわ」
女 「えっ」
女 おばさん、いつもと変わらない笑顔を浮かべたまま、薄れるように消えてしまった。な、なんなんだ。とにかくあの子を探さなきゃ。早く、早く
男1 「おおぉい、どうしたんだい、そんな走って」
女 あれは、あれもそうだ、斜向かいのおじさん、定年退職、今時珍しく悠々自適のおじさんだ。
男1 「どうしたんだい、そんな慌てて」
女 「黒い傘を差した女の子を見ませんでしたか」
男1 「だめだ、捜さなくて良い、そうだ、かなえとお茶でもしていきなさい」
女 「急いでいますから、ごめんなさい」
女 えっ、ふうぅっと叔父さんの姿と後ろの風景が重なって消えた。どうして、人がそんなふうに消えるんだ、夢か、あたし、夢を見ているのか。何もかも夢なのか。
少年 「すべてはゆめまぼろし、巨人の見たほんの一時の夢、君の人生はその断章ですらないのさ」
女 少しひねくれた顔付きの男の子が私の前にいた。何処かで見たことがある、この顔。
少年 「お姉さんは真っ直ぐを知らない。だから、まっすぐの嫌いな奴らの言葉に惑わされる。右手を左の胸、心臓の上だよ、当ててご覧、心臓の鼓動わかるかい。」
女 「分かる、どくどくいってる」
少年 「それが、お姉さんの真っ直ぐだ、そうやって手を当てていれば惑わされないよ」
女 「君の顔、何処かで見たことがある。」
少年 「僕はお姉さんの顔を知らない、今はね。さぁ、もう時間がない、急いだ方がいいよ」
女 「うん、ありがとう、お父さん」
女 そうだ、父さんだ、写真で見たことがある、子供だった頃の父だ。少し手を上げて笑う男の子、君、いい男になるよ。走れ、私は臆病でひきょう者だ、もっと早く受け入れてあげれば、きっと、きっと。
女 まっすぐ、まっすぐだ、塀も家も擦り抜けて、ひたすら真っすぐ走る、真っすぐ走る
(心臓の鼓動、少しずつ早くなる。最後に鈴の音一つ)

女 茜色の水たまりは凪いだ夜の海に変わった、静かな海だ。満天の星空を海が映しだし、なんだか、上下天地があやふやになるくらい明るい。足もとの海、きらきらと漣が無数の星明りをきらめかせている。陸が見えない、ひたすら夜の海のただ中に、私は佇んでいる。私は死んだのか、海に沈むことなく浮いているなんて。両の掌を合わせてみる。ぶつかる、透けたりしない、少ししゃがんでみる。 水、確かに水の感触だ、少し冷たい、ひんやりしている。ん、誰かがいる、顔を上げた、あれは。思いきって声を掛けてみる。
女 「こんばんは」
女 ほんの少し先、黒い傘をさした女の子がいた
女「大きな傘だね、黒色の、お父さんの傘かな」
女 なに、つまんないこと言っているんだ、私は
少女 「ありがとう」
女 初めて、女の子の声を聴いた。やわらかい、でも、ほんの少し大人びた声だ
女 「ありがとう、もっと早く君に声をかけて、かけてなければならなかった、ごめんなさい」
少女 「ううん、声をかけてくれただけで嬉しい、だって、これはあたしの我が儘だから」
女 「どうしてか、わからないけれど、君にとても会いたかった。会わなきゃって思ったんだ」
少女 「それは多分」
女 「多分・・・」
少女 「あたしが会いたいと願ったから」
女 「君は誰、君の名前、教えて欲しい」
少女 「あたしには名前がない」
女 「その黒い傘を降ろして君の顔、見せて欲しい」
少女 「あたしには名前がない、だから、顔もないんだ」
女 「君は、まだ誰でもないってことなの」
女 女の子、肯いて。ううん、傘で顔が見えないくせに頷いたのがわかったんだ
(女、思い切って)
女 「君が自分のこと、誰でもないというなら、私が決めてあげる、君は私の娘だ」
少女 「いいの」
女 「いいよ、君は私の娘で、私は君の母親だ」
女 少女がゆっくりと黒い傘を降ろしていく。あどけない、でも少し緊張した少女の顔、唇をぎゅっと結んだその顔は私の子供の頃の姿だ。父さんに初めて会った時の顔だ。私、ゆっくりと女の子に近づき、そっと顔を寄せた。髪をなでる、女の子、少し戸惑ったように目を伏せた。そして、ゆっくりと、私の胸に顔をうずめてく。
少女 「自分で選んだくせに、どうしようもなく心細くて、頼ってしまった、ごめんなさい」
女 「母親なんだもの。頼ってくれるのも楽しいんだ」
少女 「お母さんを苦しめてしまうことがわかっいたのに、本当にごめんなさい」
女 「謝ることないよ。さぁ、一緒に帰ろう、そして、一緒に暮らそう、私がお母さんだ。ね、一緒に帰ろう」
少女、囁くように。
少女 「ごめんなさい、最後の最後でとっても迷惑をかけてしまって」
父、不意に現れる。
(父、疲れ果てた様子で)
父 「年寄りにこの道行きはきついな」
女 「お父さん」
(父、哀しげに)
父 「やはりな。この子は流れを変えることを選んだ天の川の堰守、流れを自分たちの体で堰き止めて、違う道筋を与えるなどと、最悪な、そしてあまりにも純粋な選択をした子供たちだ」
女 「堰守って・・・」
父 「待っているつもりだったのだが、気になってやってきた、来て正解だったな」
女 お父さん、ほっと息をもらすと、座り込んで、女の子に哀しげな笑みを浮かべた。
父 「歳をとると、最近のことは思い出せないくせに、ついぞ、昔のことを思いだしてしまう。だから、君の切な思いも少しはわかる」
女 お父さん、ゆっくりと立ち上がった。
父 「聴きなさい。星占い、占星術。人の人生は星に導かれる、そして、星の川、天の川は、たくさんの人、つまり時代を導いていく。今の時代はすっかり狂ってしまっている、勝手な理屈で人間同士が殺し合う。命の大切さが忘れ去られた時代だ。この時代の流れをなんとか本来に導かなければならないと、この子達は考えたんだよ」
女 お父さん、ゆっくりと空へ指さした。
女 あ、満天の星空に、いくつもの、数え切れないほどたくさんの、黒い傘の子供達が空へと、空へと墜ちていく。本当に落ちていく。
父 あの子達は天の川に、その身を沈めて堰を作る。天の川がいつか溢れ、その流れが変わるように。本来の流れへと変わりますようにとな。そして、見るはずだった自分達の親や、生まれることを選んだ子供達が幸せに生きていけますようにと切に願うのだよ」

女 ゆっくりと、女の子の体が浮き上がりだした。
少女 「ありがとう、お母さん」
女 どうして、どうしてなんだ
父 「母親として、顔を上げて、しっかり見ておきなさい、この子の選んだ道は変えられないんだ」
女 「やだよ、お父さん」
(父、女に囁くように)
父 「顔を上げなさい、しっかりと見てやりなさい」
女 ぎゅっと、歯を食いしばって顔を上げた。空に落ちていくあの子、片手でそっと手を振ってくれた。
(女、叫ぶ)
女 「幸子(ゆきこ)、幸せな子供と書いて幸子。君の名前だ、幸子」
女 あたし、思いっきり手を振る、体いっぱい、手を振る。肩が千切れてもいい、狂ったように手を振る。幸子、黒い点になって、消えてしまった・・・。
女、呻くように。
女 「うわぁぁっ。幸子」
父 「右の手のひら、心臓の上に置きなさい。どくどくという音がわかるか」
女、息苦しそうに。
女 「うん、とっても大きく伝わってくる」
父 「あの子の笑顔、見えたか」
女 「うん、手も振ってくれたよ」
父 「そうか。親として名前も付けてやれたな」
女 「うん」
父 「大人の我儘や醜い思いで、世界は狂いだしている。それを、子供が、それも生まれる前の子供が、生まれることをやめにしてまでして、正していこうなんてな。どうにも情けない、大人は」
(女、呻くように)
女 幸子。見える、君が見えるよ。深い川の底、たくさんの子供たちが目を瞑り沈んでいる、傘を手放した幸子が膝を抱えて沈んで行く。ぎゅっと唇を引き締めて、眼を瞑り俯いている、幸子。
父 絶望するなよ。たった一人でも世界を変えることは出来る、諦めさえしなければな
女 え
父 世界が善い方向へと向かえば、あの子の、幸子の役目も終わるってことだ
(女、勢い込んで)
女 頑張る、何をどう頑張ればいいのか、まだわからないけど、でも頑張る

(雨の音、車の行き交う音)
女 バス停だ、夜のバス停、お父さんと二人座っていた。今までのことって・・・、あれは夢じゃない、本当のことだ、幸子を抱き締めた、この手のひらは幸子を忘れない
父 お前が幸子を忘れずに信じ続けてやれば、あの子はお前のことを思い続けることができる、笑みを浮かべていられる、わかったな
女 お父さん、黒い傘を私に手渡してくれた。頑張るよ、私。幸子と暮らせるように頑張る

終わり