京都新聞 絵本、父不在にモヤモヤ
つまり、絵本を読むと、お母さんと子供だけで、お父さんが出てこない。そこから、ジェンダーについて考えようということですが。
思いだすのが、哲学者 久野収が対談で話した話。いや、多分、久野収だったと思うのですが、どうだったかな。久野収の本はわりとあるのでどれだったか。探すのがしんどい
彼は小さな子供の頃、田舎に住んでいた。子供の彼は、伝染病に罹り、病院に入院することもなく、家の一室に隔離された。
昭和の初めの田舎の話です。
母親は、感染の危険をおかして、毎日、ぐったりとした彼の体を拭き、下の世話までもした。父親は部屋に入らず、ふすまを開け、がんばれよと声をかけるだけだった。彼は子供の頃の話として、別に、親に対してどうだとは語っていないのですが、多分。なにぶん、私も読んだ記憶で書いているので。
新聞記事を読んで思いますのは、父親が子供の苦しいときに、母親と同じ行動が出来た時、初めて、絵本に父親も出演させてもらえるかもしれないなぁということでした。