タイトル: 誰が彼に手を差し伸べ得たろうか
内容:
桜宮高校バスケ部キャプテンの自殺の原因は「体罰」ではない 1 Business Media 誠
確かにそうだなと思う、体罰とは「罰」の一つであり、これは体罰という罰ではなく、
「これは彼があまり日本語を知らないがゆえの誤解で、体罰を「公開処刑」に置き換えてみると何を言わんとしているのかよく分かる。それは「強い軍隊」をつくる秘訣だからだ。」 上記リンク先より
死を選ぶ子供達がいる、いや、選ばされていると、受身的に表現する方が正しい、まさに大きな力に殺されようとする子供がいれば、なんとか助けなきゃと思うのは他人であっても不思議ではない、震災時の助け合う姿などもある、ただ、これを「罰」と認識してしまったとき、罰を受けるだけの理由があるのではないかと考え、それなりの答えらしきものを用意し、納得してしまうだろう。
多分、自殺した彼自身、我が身に降りかかったことを犯罪と捉えず、体罰と判断していたであろうし、彼の家族もそれは体罰であると、卑劣な犯罪に息子が被害者になっていると認識できなかったからこそ、彼が死を選ばされてしまうまで、手を拱いたのではないか、そう思うとあまりにも辛いことだなと思う。
[1] http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1301/15/news022.html
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