物部自動車工業 店主の日記 普段着の文章

京都市西京区で車検整備の認証工場の店主です.趣味や思いつきを書いています.

特に読んでいただきたい記事
  1. 命は大切ですかと問えば

竹富町と教科書のこと

文科相是正要求 道理ゆがめる「恫喝」だ 不当な政治介入を撤回せよ

教科書問題、文科相が竹富町に是正要求 初の措置「当然」 沖縄県教委も厳しく批判

少なくとも、私は政治の場において、いろんな考え方の人間がいろんな方向を向いて議論をし、一つ決めるのに随分と時間がかかってしまうという仕組みが、不満をお持ちの方はたくさんあろうかと思いますけど、一番良い政治の場であると考えています、それは太平洋戦争に突入していった日本という国を考えたとき、そういう帰結になるのはそれほど不思議な結論ではないなんて、思ったりもしますけれど、本名で詳しく展開していくのは、少々、勇気が必要で、さて、どうするかなと考えます。

 

と、言っても、このブログ、はてなアクセス解析に拠ると、一日のページビューが1件とか2件なので、それほど、気にする必要もないかなとは思いますが。

 

追記 2014.03.26
琉球新聞社説 是正要求拒否 竹富町の判断こそ正当だ

Eテレセレクション ひとりと一匹たち・多摩川河川敷の物語を見る

Eテレセレクション ひとりと一匹たち・多摩川河川敷の物語

夜中、1時半まで起きていたので眠い。
テレビを見ていた。
Eテレセレクション ひとりと一匹たち・多摩川河川敷の物語を見る。
捨てられた猫を通して、ホームレスを、ホームレスを生み出す社会が描かれていた。

住みやすい社会、生きていきやすい社会とは何なんだろうと思う、そして出来るだけ福祉に頼りたくないと言う彼の言葉を改めて思う。
彼にとって福祉に頼らないというのは、彼自身が弱い立場で生きている中で、自分で生きているんだと、自分自身に言うことが出来るぎりぎりの線なのかもしれないと思ったりする。
現時点ではホームレスになっていない、私やあなた方は、それを他人事と切り捨てることを選ぶか、沈黙は、それを選んだことと同じだとか、そんなことを思いながら寝た。

一次元の配列

: vector create dup , 2* allot does> 2+ swap 2* + ;

上のブログラムが、一次元の配列を用意するワードで、『標準FORTH』の例題にあるブログラムです。

 

つつきは後で

解説とか、利用した結果とか書くこと

命は大切ですかと問えば

命は大切ですかと問えば
例えば、駅前で「命は大切ですか」と問えば、ほとんどの人が大切だと答えてくれるかもしれない。では、「日本の反対側、例えばブラジルの一度も会ったことがない、ほぼ、間違いなくこれから会うこともないであろう飲んだくれのおっさんの命も大切ですか」と問うて、大切ですと即答する輩は嘘つきです。返事に戸惑うか、わからない、と答えるのが多くかもしれません。
で、私はというと、「大切です」と即答する人間です。

さて、少し展開してみますと、
ここに年代モノの骨董品がある、有名な陶工が作った壷、国宝と呼んでも差し支えないほどのもので、関心のある人にとってはとても大切なものかと思います。でも、私はそういうのに関心がないので、古びた花瓶としか認識できません。
一つの存在にどうして、こんなにも価値が違うのか。つまりは、価値というものが壷に内在しているのではなく、それに接する人の側にあるからです。そして、良い物とは見る人に関心を呼び起こす触媒のような力を持つものという定義が出来るかもしれません。
とにかく、それ故に、一つのものでも、接する人によって価値が変わるわけです。
正直なところ、その伝で考えれば、自分の命とブラジルの知らないおっさんの命を並べて考えた場合、そりゃ自分の命は大切だけれど、知らないおっさんの命はそれほどでも、となるのが、当たり前だと思うのです。

でも、ここで考えなければならないのは、それを命について考えたとき、そういった社会は、とても生きづらい社会であり、自分の命も家族の命も、何処かの知らないおっさんの命も、みんな大切だよという社会の方が、誰もが生きていきやすい社会だと思うのです。
つまり、命の大切さは、その存在に既に内在を約束されているのだ、そう考える社会の方が安心して生きていける社会なのです。

ですから、私は命の区別なく、命は大切なものだと申しますし、そう考えようとします。
これを建前と揶揄することも簡単ですが、なにやら、どんどんと生きづらい社会や世界になっていると実感するこの頃、すべての命は大切なのだと意地を張ることはとても大切なことではないでしょうか。

よそんちの面白いなと思った記事

  1. 社畜を“育む”学校教育?「やりがい」「自己実現」という洗脳が社員を蝕む
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配列とか

FORTHでは、標準(F83辺りが私の頭の中ではFORTHの標準と言うことになっていますが)で、配列がありません。

ただ、A(5) = 10 というような感じで、配列にデーターを入れることができれば、便利です。FORTHは自己増殖型言語とも呼ばれておりまして、私の記憶ではということですけど、ならば、配列を用意すればよいだけでして。

とりあえずは、メモリ上に領域を用意して、添え字付きでデーターをやり取りできれば良いわけです。

f:id:monobetoshiyuki:20140303205403j:plain

上の画像は、変数を設定して、メモリーをダンプしたものです。

最近、勉強しだしたC言語同様、メモリーを直接見ることが多い言語です。多分、C言語より低レベルの言語かもしれません。

なお、低レベルと言うのは、質が劣ると言う意味ではなく、より、コンピューター側の言語であると言う意味です。

 

ナマステ タージマハル 向日市店でCランチをいただく

以前から、近所にインド料理店があるということは知っていたのだけれど、怠け者の常で、駐車場が見当たらないという理由だけで行かずにいました。

今日は天気も良く、歩かなきゃ、健康のためにと、それなら、折角だし、以前から興味のあったインド料理  ナマステ タージマハルへ行ってきた次第。

Cランチをいただきましたが、ナンが大きく、ちょっと食べきれないかもと思ったのですが、美味しく、残さずいただきました。

カレーは二種類、これも美味しかったですね。

料理に詳しくないので、なんというカレーなのか知りませんけど。

あと、サラダのドレッシング、なんというのでしょうね、これも美味しかった。

料理に詳しければ、色々と固有名詞を出せるのですが、知らないので。

大学ってなんなんでしょうね

いったい、大学ってなんなんだろうと、ここのところ、改めて考えています。大学は就職のための予備校であるとか、準備期間であるということが、わりと、平然と語られる時代になった気がします。

私が学生だった頃は、新たな知識を得る場所、思考することを学ぶ場であるというふうに云われていた気がします。もちろん、本音は就職予備校だなと思っていたわけですが、それをそのまま言うことに抵抗がある、臆するところがある、そのため、しっかりとした考え方を身に付け、先進の知識を得るために大学に行くのだという建前と、ほとんどの人にとっては、それは、残念ながら建前でしかなかったのだろうけれど、その建前を大切にしてきた、そんな気がします。

ただ、この頃、何故大学へ行こうとするのか、一般化できる、行く理由と目的をはっきり提示できないと、今の十代後半、二十代初めの人達を不幸にしてしまうのではないか、そんなふうに思うのです。

続きは元気のあるときに書きます。

gforthについて

gforthについて

windowslinux、ともに利用できるforthとして、いま、gforthで、forthの勉強をしています。
F83やToolFORTHも使っていたので、それほど抵抗はありませんが、やはり、長い間、プログラミングなどしていなかったので、これはどうするんだっけと悩むことも多いです。ま、それもまた勉強と云うことで面白くはありますが。

gforthのダウンロードは以下のアドレス。
http://www.complang.tuwien.ac.at/forth/gforth/

エディターはgeanyを利用しています。
http://www.geany.org/

geanyはforthにも対応していますので、得てのエディターがなければ、お使いになるのもいいのではと思いますね。
私の場合は、勉強を始めたばかりのCとRubyもgeanyをエディターにしてますので、使い勝手が良くなっています。

Cはポインターが難しいと聞いていたのですが、ポインターと云うのは間接アドレスみたいなものなのでしょうか。私の世代前後はNECのBASICの遅さに辟易とし、BASICのサブルーチンをZ80や86のアセンブラで書くというのが、わりと多かったので、間接アドレスには然程抵抗はないのですが。




貧困のことと借金と

「政治学に関係するものらしきもの」というブログを度々拝見しているのですが、「奨学金には手を出すな」という記事について書かれており、興味を感じて、両方の記事を読んでみました。

奨学金という「借金」と就職できる大学という現実

奨学金には手を出すな

詳しくはそれぞれの記事をご覧いただければと思いますが、切実に貧困について考え、対処しなければならないところまで来ている、そんな気がします。

続きは後で書く

  • 大学の役割を再考する
  • 生活をするということ
  • 自分のお金と他人のお金